山田のシンボル小富士
〜 ここでは、小富士の写真や歴史などを紹介します 〜 


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小富士の本名 = 摺鉢山(すりばちやま)!
かつて火を噴いた孤立山(こりつざん)としての摺鉢山は、史跡上「帝王山」ともいい、山の姿が富士山に似ていることから「山田小富士」とも言われ、山田のシンボル的存在です。 秋ともなれば、紅葉の美しさを装い、澄み切った空に凛とした気高さを示しています。
 
小富士にまつわる歴史
【その壱】
 小富士には、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の父親である景行天皇(けいこうてんのう)が来たことがあると言われています。

 嘉穂町宮野愛宕神社縁起によると、景行天皇が西を征伐に来たとき「筑紫の土蜘蛛御征伐のときに、豊前の国(福岡県京都郡)より高羽(同田川郡)を征伐し終わって、筑紫の粕屋郡に行幸されたとき、この神天の射手(いで)を率いてその前後を護衛した。」とあり、山田・足白・宮野などを通過されたことが分かります。
 また、山田射手引神社縁起には 「山田の東方にそびえる帝王山(摺鉢山)は、景行天皇の熊襲(くまそ)征伐のときに、天の射手を率いて陣をおひきになったところ」とあります。

 さらに、景行天皇の西方征伐のあと熊襲が再びそむいたことから、それを鎮めるために日本武尊が西に下ってきたという伝説も残っています。

【その弐】
 小富士には、戦国時代にまつわる歴史もあります。筑前続風土記巻之二一五 古城古戦場嘉摩郡に「たい王の古城として上山田村にある 筑前中納言秀秋(小早川秀秋)のとき築いて、家臣である目野龍右門にまかせておいた所」とあります。
(小早川秀秋といえば、関が原の戦いの折に、家康方の勝利に大きく貢献した武将として知られていますよね!)  小富士の中に残っている石垣もこの頃のものかも知れませんね!

 
地質学上は…
 小富士は、実は死火山(しかざん)です。
 金国山ブロックの西側にそって山田盆地の東部にあり、碓井町の金比羅山(こんぴらやま)と同じく玄武岩(げんぶがん)のトロイデで、白山火山脈(はくさんかざんみゃく)に属し、福岡県の北西海岸を通る火山列と県南東部の阿蘇火山に属する溶岩台地残塁(ようがんだいちざんるい)との中間における、第3紀属炭田の中の孤立玄武岩丘(こりつげんぶがんきゅう)をなしています。
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